熊野三山とは

 熊野三山と聞いて何をイメージしますか?

聞いたことはあるけどあまりよくは知らない人が多いのではないかと思います。日本人にとって熊野への旅行のルーツが熊野三山にあった事をご存じですか? 熊野三山はかつて「蟻の熊野詣」と言われるほど庶民から貴族までこぞって向かった大人気の一大観光地だったんです。それではそれほどのブームを引き起こした熊野三山とは一体どういう場所なのかを一緒に見ていきましょう。

 

那智

 

熊野三山とは

 

 熊野三山とは紀伊半島の和歌山県南部にある三つの聖地、田辺市本宮町の山の奥地にある熊野本宮大社、新宮市の熊野川河口付近の熊野速玉大社、那智勝浦町の那智の滝で有名な熊野那智大社からなり、全国に3000社以上ある熊野神社の総本社でもあります。

 

熊野三山 順番

 

 参拝順番は特に決まっていませんが、平安時代に上皇や法皇達が何度も参拝した熊野御幸ではツアー出発はもちろん京都ですので、まず淀川を下り大阪へ出たあとは和歌山県田辺市まで歩き(貴族の方々はお輿ですが・・・)、中辺路を通って本宮大社へ、そして熊野川を下って速玉大社、最後に那智大社といった順番だったようですね。しかし、江戸時代になって道が整備されて関東からの参拝客が増えたり、お伊勢参りが流行ったりすると伊勢路を通って逆ルートから行く人たちも多く、「伊勢に七度(ななたび)、熊野へ三度(さんど)」なんて唄われたりもしています。


 

そして和歌山、三重、奈良の三県にまたがる熊野三山への参詣路を熊野古道と呼び、2004年に世界遺産に登録されています。現在では、京都・大阪からは特急「くろしお」、名古屋からは特急「南紀」で簡単に来れますね。しかし今のように便利な交通機関のなかった時代には、熊野詣は京都や江戸から往復20日から1か月、江戸からは往復2か月近く程かかる長旅でした。そこまでして多くの人々が訪れた熊野三山の魅力とは一体何だったのでしょうか?

 

 山深く鬱蒼とした森に覆われた熊野は異界への入口や現世から隔絶された死者の国と考えられ畏敬の念を持たれてきました。それではなおさら何故わざわざ死後の世界へと思うかもしれませんが、平安時代には死後の世界である熊野は言わば天国、つまり浄土の地とされていたので、熊野詣はさながら本番前のロケハンと言ったところでしょうか。大変な道のりではありますが、浄土への道は容易ではなく、困難の先にこそ幸せがあるものです。雨が土の中を通り長い時間をかけてろ過されて清らかな水となって出てくるように、巡礼の旅も熊野古道を歩くことで身が浄められ、熊野三山に辿り着いたときには、たとえ衣服や汚れてもきっと心の汚れが取り払われて綺麗になっていることでしょう。頑張って歩いて、ようやくゴールが見えてきた時の感動はひとしおです。ようやく遠くに見えた本宮大社の大鳥居や目前にせまる那智の大滝、百間ぐらから見る山々の景観、社殿に向かって登る階段の一歩一歩、そこで出会う心境は、令和になった今でも時代を越えて共感できるものだと思います。

百閒ぐら

 また熊野三山が庶民にまで人気を博した理由には、熊野三山の懐の深さにもあります。熊野信仰はもともと自然崇拝からはじまり、山岳信仰や神道、仏教が入り混じった多様な側面を持っているせいか、非常に格式高い聖地にもかかわらずとても寛大で老若男女や貴賤、信不信を問わず受け入れてくれるのです。遠いところから長く厳しい道程を経て、さらに熊野の険しい山々を抜けてやってきた人には、きっと神様も「はるばるよう来たねぇ。無事で何より。」と受け入れてくださるのではないでしょうか?コロナ前には世界中から様々な宗教の外国人がやってきましたが、遠い国から海を越えてまで来てくれてありがとう、という風にきっと熊野の神様も歓迎してくださるはずです。私もコロナ後に熊野古道の村近露に移り住み働くことになりましたが、関東出身の私に対しても皆暖かく迎えてくれましたし、他にも多くのIターンの人が住み着いていますが、この地域の住民の暖かさは熊野の神様の性格に通じるものがあるような気がします。

 

 また個人的な感想にはなりますが、熊野へ来た巡礼者達は、都会の喧噪や日々のストレスにうんざりして、遠く離れた熊野へ旅行して心をリフレッシュしたかったという、信仰心とは別の思いも同時にあったのではとも思えます。平安時代には主に身分の高い人たちがやってきましたが、陰謀や策略が渦巻く政治の世界にいた人々にとって熊野詣は汚れた魂を浄めるだけでなく心を休める事ができる時間だったのではないでしょうか。江戸時代になると多くの庶民が訪れるようになりますが、貴族のように道案内も連れ歩く従者もいない庶民にとって熊野詣は慣れ親しんだ日々の生活とは全く異なった未知の世界そのものです。一方で熊野は身分に関わらず誰でも受け入れてくれる場であり、さらに熊野詣への手形を持っている人はその道中では無料で宿や食事が提供されたそうです。そう考えると庶民にとって熊野詣は不安と同時に期待も入り交じった大冒険だったのだと想像しています。また非日常を生きることで自分を見つめ直す機会であったり、一生に一度のチャレンジだったりしたのかもしれません。長い旅を経て熊野三山にお参りし、達成感とともに心新たに生まれ変わったような気持ちで帰路に着いている旅人の姿を想像してみてください。

 

 熊野三山へお参りする熊野詣が旅行のルーツと冒頭に話しましたが、死後の世界と考えられていた場所への旅・・・というと恐ろしいですが、片道切符ではなく、お参りした後はちゃんと戻ってこれますのでご安心ください。熊野三山は「甦りの地」と呼ばれていますが、生まれ変わって戻ってくるからこそで、新たな出発をする場所という意味でもあるのです。とはいえ、そんなに深刻な気持ちでなくとも、熊野の神様は寛大なので、ちょっと気分をリフレッシュしたいといった軽い気持ちでもと思います。滝や川下り、巨石に社寺仏閣と観光要素抜群で、後白河法皇が30回以上訪れたのも納得です。今でこそ北海道や沖縄に比べれば大人気とまではいきませんが、だからこそ平安時代からずっとかわらず旅の目的地であり続けているのです。

熊野古道